4月20日 ゲシュタルトブログ名
夕方という感じを見ると、毎回、あれカタカナかなと思ってしまいます。
カタカナっぽい。というか、カタカナという字がもうほとんど夕方だということに今気づきました。何度も同じ文字を打ち込んでいるとゲシュタルト崩壊を起こして、なんでこの字はこんな形をしているのかと考えてしまいます。
これは良くない。人間は考える葦であるとは言いますが、考えすぎは良くないです。
何度も同じ字を書くといえば、中学生の時に友達に聞いたのですが、その友達の隣の席の女の子がノートに「血、血、血、血、血、アイラブ血」と書いていたのを見たことがあるらしいです。その時はやばい人だなと思いました。
高校になってその話を思い出したときに、中二病という言葉があるようにそういう時期だったのかなと思いました。
そして、今そのことを振り返ってみると、そういう時期なんて無くね?と思いました。
「血、血、血、血、血、アイラブ血」と書くことがある時期ってなんだよ。やっぱりやばい人だったのかなと思いました。
思考は中学生からの6年の時を超えて原点へと回帰しました。
このブログの名前は「鉄骨番長ブログ」。
なぜこの名前にしたのだろうかと考えてみた。
ブログを書きだしたのは去年の夏ごろ、何にもやっていない自分が嫌になって何か始めなきゃと思いこのブログをはじめました。最初は友達と一緒に書いていこうと思って始めたけれど、なぜか友達がログインできなくなったため、僕しか書けませんでした。本当はめんどくさかったんじゃないかと思ったけれど、そんなことを聞くのは意味がないので聞くのはやめました。
最初ブログ名を決めるときはワクワクしていたのですが、全然いい名前が浮かばず一瞬で飽きてしまいました。
その時に適当に思いついた「鉄骨番長」という言葉をブログ名にしました。
あの時、「鉄骨番長」という言葉が出てきたのはなぜなのだろうか。
それの少し前に友達と富士急ハイランドに行ったときに、富士急ハイランドのアトラクションの一つに「鉄骨番長」はありました。
並んでいるときに流れてくる鉄骨番長の音楽。
「鉄骨番長、鉄骨番長、鉄骨番長・・・・・・・」
何とも言えないビートが胸に響きながら、リリックは鉄骨番長のみ。一定のリズムを保ちながら、永遠に流れ続けるその音楽は、なぜか僕の心をつかんだ。みんなの心もつかんだ。
並んでいる間、みんなで「鉄骨番長、鉄骨番長、鉄骨番長・・・・・・・」と合唱した。そのうちなんで、自分がこんなことを言っているのかわからなくなった。さらには、「鉄骨番長」。なんだこの言葉は全く持って意味が分からない。なぜ番長というリーダーを表す言葉に鉄骨という言葉がついているのだ。そもそも番長とは………・・・・・・・・・。
思考が堂々巡りしたのを覚えている。あの頃から、「鉄骨番長」という言葉に憑りつかれてしまっているのかもしれない。今でも、あのビートとあのリリック「鉄骨番長」を忘れることはできない。その時の思い出が知らないうちにサブリミナル効果的に僕のブログ名として現れたのかもしれない。
ことばとは不思議だ。
誰がモノに名前を付けるのか。言葉が先でモノに名前を付けるのか。モノに名前がつくのか。わからない。
ただ一つ言えるのは、もしあの頃「血、血、血、血、血、アイラブ血」とノートに書いていた女の子が、ブログを書いているならば、そのブログ名は「血、血、血、血、血、アイラブ血ブログ」に違いない。それを実際に見たことがない僕の心にもとてつもないインパクトを与えているその言葉を書いた本人ならば、人生の節目節目にこの言葉が現れてくるに違いない。
今日ももう午後になってしまった。
洗濯物をしまって家に帰ってくると、インターネットで「血、血、血、血、血、アイラブ血ブログ」と検索してみる。
ヒットしないのを確認して残念な気持ちになる。あの子がもしブログを始めたのならば、一番最初に僕が気付けるようにこれからも僕は存在しない架空のブログ、「血、血、血、血、血、アイラブ血ブログ」を探し続けるだろう。
そんなことをしている間にもう外は少しずつ冷えてきている。
今日の一曲