4月18日 自意識と散髪
今日は散髪に行こうと思っている。
今の髪型は七三分けすぎて会う人会う人に馬鹿にされ続けている。
とはいっても僕はその髪型が凄くお気に入りではあった。
少し前の日本に自分だけタイムスリップしたように感じる僕の髪型。
セットをするときにはワックスやジェルではなくポマードを使う僕の髪型。
これはサーモグラフィーに映った僕の髪型。すごく分け目がきれいだ。確かにこんな奴は馬鹿にされても仕方のないことかもしれない。
眼鏡をかけているとサーモグラフィーではサングラスのようになるのだなと分かりました。
昔、教科書の写真で見たマッカーサーによく似ていると思う。
僕にはマッカーサーのようなカリスマ性やリーダー能力とかは全く持ってないけれど、髪型は似ている。マッカーサーと僕には意外な共通点があった。
第二次世界大戦が終わって、日本がGHQに統治されていた時代を僕は知らない。
けれど、そのころの日本のように僕にはあまり自由がない。
したくもない就活、ない体力、足りない集中力。
ほとんど自分の責任であるにも関わらず、マッカーサーのせいにしてしまったことを詫びたい。
僕に自由がないのはマッカーサーのせいではない。
信じられないほどの怠惰のせいだ。とんでもないほどの僕の責任だ。
ああ、みっともない。
マッカーサーのせいにしないためにも今日は髪の毛を切りに行こう。
昼過ぎ。
髪の毛を切りに家を出る。雨が降りそうで降らない。ちょっとだけ降った。
ちなみの僕は美容院ではなく、理容院、いわゆる床屋で髪の毛で切る。
美容院に行かないのはシンプルな理由だ。あのおしゃれな雰囲気に自分が入っていい気にならないからだ。自分なんかが入ってしまうと美容院の雰囲気をぶち壊してしまうと思ってしまう。
また、会話が苦手だ、相手がどんな人かわからないと自分から話しに行くことができない。ああ、僕の人見知りよ。消えてなくなればおしゃれな髪型ができるのだろうか。
いや、先ほどの言葉は訂正したい。
言いたいのは美容院のほうがおしゃれだということに対する批判だ。
僕が床屋に行っているというと馬鹿にするやつへ。
許せねえ。
(床屋は中学生まででしょう。)
なんだよ、それ。
爺だって床屋に入るんだぞ。
床屋のモットーだ。
とにもかくにも美容院にはできないことが床屋だとできる。
顔を剃ったり、眉毛を整えたり。
お前らの眉毛が整っていない間、僕の眉毛は整ってるぞ!!ざまあみろ!!
だけどもいくら眉毛を整えても全然モテたことがない。
モテるのは美容院に行っている奴らがほとんどだ。
悔しい。
でも忘れるな。もしも美容院に通っている奴らと床屋に通っている奴らで戦争が行われたら、絶対に床屋に行っている奴らのほうが強いこと。なぜなら床屋に来る奴らはめちゃくちゃ刈り上げが凄い。そして全員ぴちぴちの服を着ている。それに比べて美容院に行くやつらは緩めの服を着ている。
完全にこっちのほうが武闘派だ。
戦争があったなら、僕は安全圏から指示をする役に徹するだろう。
髪の毛はいい感じに切れた、不評だった七三分けはやめた。髪の毛は短くした。
久しぶりに短くなってすごく軽くなった気分だ。
セットは普段使わないような高いワックスを使ってもらった。
いい感じ。午後からも頑張ろう。確か、保険の打ち合わせがあったはずだ。
床屋からの帰りは雨が上がって、晴れ間が見えた。
いつもより軽くなった頭の重さを感じたくて頭を犬のように降った。家に帰って鏡を見ると、髪はぼさぼさに戻っていた。
嗅ぎなれない高いワックスの香りを感じてちょっとだけおしゃれになった気分になる。
午後からは映画を見よう。
人がたくさん死ぬ映画。
来るべき戦争に備えて、僕は一人着々と備えている。