鉄骨番長ブログ

好きなものを紹介したり、日々の日記を書いたりしています。水面のように穏やかに生きています。

4月13日 午前というか昼

4月13日、起きるともう10時半だった。

この前、学校に行ったとき、最近は早く起きるようにしているというまったく意味のない嘘をついた自分が憎い。過去の自分のしょうもない見栄のせいで遅くに起きると少しの罪悪感を感じてしまう。

雨が降っていた。好きな天気だ。小学校までは天気は晴が一番好きだった。外でいっぱい遊べるし、なんだか気持ちがいいからだ。

中学校に入って雨が好きになった。部活が休みになるかもしれないからだ。

中学校の思い出はほとんど部活だ。何しろ休みがなかった。平日は水曜日以外毎日練習。土日は必ず試合。野球部を引退する3年生の夏まで僕は私服を買わなかった。

野球がそこまでうまくない、何なら下手だった僕はほとんど試合に出た覚えがない。

ずっとベンチで声を出していたか、バットを引く仕事やボールを拾って磨く仕事をしていた。ランナーコーチを任されていたこともあったが、何しろ下手なので自信をもって声が出せず、クビになった。野球部には嫌な思い出しかない。入ったばかりのころ、まだ元気があった。レギュラーになって試合で活躍したいと思った。初めての試合形式の練習でバッターボックスに入った僕は先輩ピッチャーの投げた球が僕に向かって飛んできたことに驚いてしりもちをついてしまった。しかしボールは僕に当たらず、アウトコースのストライクゾーンに入った。僕と変化球カーブの出会いだ。出会って3秒で僕の野球人生は終わった。アウトコースのストライクにしりもちをつくバッターなどにもうチャンスは来ない。それからは公式戦に出ていない。

練習をしてうまくなろうと思ったこともある。というか、練習をするときは毎回、そう思っていたはずだ。家での素振りの数を増やした。ノルマで課されていた300回では足りないと思い、500回素振りをした。週末に僕が試合に出るチャンスがあったからだ。

週末、1週間毎日500回素振りをした僕の手は皮がほとんど剥けていた。痛みでバットを持つのが精一杯で三打席三振した。

努力は裏切る。普通に。

あれ以上努力をしていたのなら、もっと手の皮がむけていたので努力はすればするほどこちらを裏切る。

野球がうまかった友達に練習内容を聞いた。

「これ内緒な。俺200回振るのめんどくさいから、50回しか振ってない。」

と彼は言った。

努力をするのをやめた。

それからは週末に降水確率が1%でもあろうならば、全力で雨ごいをした。テルテル坊主を何度も逆さに括り付けた。必死になって括り付ける僕をみて、親は何も言わなかった。

 

野球部を引退して何年もたつがいまだに雨が降るとうれしい。野球部の時は予定を立てることができなかったので、雨が降ると何もすることがなくて家でヒカキンゲームズを見るか、近くのゲオに行って映画を借りてきて見た。今でも雨が降ると映画を見たくなるし、ヒカキンゲームズも見たくなる。ゲームは全然やらないので、ヒカキンがやっているゲームがどういうゲームなのかはわからない。それでも雨の日には見る。

 

中体連といわれる中学校の最後の大会で僕のチームは2回戦で負けた。先輩は全国大会までいったので、信じられなかった。もちろん僕は試合には出ずベンチでレギュラーの選手たちに冷たいおしぼりを渡す係をしていた。

試合に負けた時、いつも僕と野球部を辞めたいなと話していた控えのやつが「ようやくやめれるな」といった。

そうだと思った。

うれしいと思ったのか、悔しいと思ったのか全く覚えていないけれど、試合後のミーティングで控え選手のうち僕だけが号泣した。

あの時のみんなの顔は忘れない。

「いや、お前出てないやんけ。」

「毎日やめたいっていっとったやんけ。」

今にもそんな言葉が聞こえそうだった。ていうか、聞こえていたかもしれない。

 

あの時どうして泣いたかはわからないけれど、なぜだか涙が出た。

野球部を引退した後は死ぬほど遊んだ。高校受験があったけれど僕は自分の学力よりも少し下を志望校にしてほとんど勉強しなかった。毎日、遊んだし、同級生が引退後もたまに部活に顔を出しているのに対して僕は部活動には一切顔を出さなかった。すごい楽しかったはずだ。

しかし、どれだけ遊んでも、部活が休みになったときに見たヒカキンゲームズを超えるようなワクワク感はなかった。どうしてなのかはわからないけれど。

 

今でも雨が降ると、中学時代を思い出して、ヒカキンゲームズを見てあの頃のワクワク感を得ようと試みるも、何も感じない。

 

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